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【読書】教養としてのローマ史の読み方

著者:本村凌二 PHP文庫

 

ローマ史の流れ自体は以前の「新訳ローマ帝国衰亡史」のほうで書いた通りであるが、あちらは簡潔ではあるが章立てと抜粋によって寸断されたような形でのローマ史の記述になっていたところがあった。元のローマ帝国衰亡史ならそうではなかっただろうが全10巻と膨大な分量があるのでどちらにせよ読むのは大変。

もっとも初歩的な……というよりもまだ十分な興味と熱量を持っていない頃の私にとっては書店で見かけたこの本に対して、スキピオカエサルなどの華々しい活躍をするローマの偉人の歴史とその解説に期待して購入したという経緯で手にすることになった。

確かにその辺りの記述もありはするが、もっと全体的な歴史の流れから見たローマ史そのものに対しての興味が漠然と湧いて来たのはやはりユリアヌス帝の記述からだろう。

 

それを読んで以降はとにかく私は「個人的にはユリアヌス帝が好き」と言っていたが、キリスト教を批判しつつもキリスト教の良い部分は素直に評価しリスペクトしさえする。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という感じでなく、良いところは良い、悪いところは悪いとフラットに、しかも穏便な方法で指摘するユリアヌス帝の振る舞いから知性と寛大さを感じることが出来たから故でもある。

そのユリアヌス帝が歴代ローマ皇帝(とさらにローマの偉人など)から最も素晴らしい人物として挙げたマルクス・アウレリウスへの興味も同時に抱き、自省録も手に取るきっかけにすらなったのであった。だがこちらは難解であり、ストア派哲学の知識も必要であることからある種「観念的な理解」になってしまっていることは非常に残念だ。

エドワード・ギボンも「もっと在位が長ければローマの歴史、ひいてはヨーロッパの歴史すら変わっていたかもしれない」と評価するユリアヌス帝のことを多少簡潔ではあるが知ることが出来たのもこの本を手に取ったからこそだった。

 

さて本の全体としては分かりやすい記述でローマ史の流れを掴みやすい。

ローマが帝国化していく中で当時のローマにあった興味深いシステムでパトロヌス(保護者)とクリエンテス(被保護者)というものがある。これは親子の関係ではなく、パトロヌスがクリエンテスを社会的・金銭的に援助しながらもクリエンテスもまたパトロヌスを支援するという相互のシステムであり、ある種の社会的共同体のような様相を持つ。

それも経済的格差が広がりパトロヌス内でも搾取する側とされる側に分かれるようになると、かつてのパトロヌスも経済的に没落し別のパトロヌスに頼る、という状況が生まれていく。これが最終的には「皇帝とその他」という形となる。

つまり「最大のパトロヌス」が皇帝や国家となり、それ以外は皇帝に対しての忠誠という形でクリエンテス化することになる。アウグストゥスはこの関係を上手く活用して、叔父のように暗殺を避けて帝政化に漕ぎつけることが出来た。

と言うようにクリエンテスによる公的・私的な様々な支援とパトロヌスによる保護の関係の流れで解説されていくところなどは、ウィキペディアなどでローマの歴史を調べるぐらいでは目にすることもなかった要素に言及してくるので非常に勉強になった。

 

安定した時代と不安定な時代を何度も繰り返しながらローマ帝国はその後繁栄と衰退のシーソーを経験し最後は滅亡するが、その滅亡の要因の1つとして「キリスト教化と非寛容化」が挙げられている。

ローマ滅亡に関する私個人の考えは以前の「新訳ローマ帝国衰亡史」の読書記事でまとめたのでここで改めて言及はしないでおく。

とは言え、共通のテーマとして完全に無視できない。

そこで「キリスト教化と非寛容化」を軸にして考えてみたい。

国力の衰退、経済の衰退を止められなかった理由として全記事では「指導者を含めた国家レベルでのモラルの低下」を挙げた。

それはともかくとして、国力・経済低迷によって経済的保護を必要とする社会的弱者が多数存在したことは上記の「クリエンテスがどうのこうの」という共和政時代からも見て取れるだろう。

国家的モラルの崩壊がエリートと弱者を分断し、国力低下・経済衰退と共に「暇な教養人」は社会から消滅する。そうして哲学無き社会からはかつてのパトロヌスのような他者を支援する人々がどんどん減っていき、いわゆる自己責任社会のような様相を成立させていたのではないだろうか。

このような状況の中で社会的弱者はキリスト教の教義に対して「救済(経済的・社会的支援)」を求めるようになることは何も不思議ではない。またクリエンテス自体は市民権を持つ者などに限られる一方、キリスト教の救済は奴隷や女性であっても無制限で対象となった。つまりはパトロヌスとクリエンテスのシステムのアップデート版のようなものとして捉えられたのだろう。

こうしてかつてのクリエンテスがパトロヌスを公私に渡って支援したように、救済と援助を求めたキリスト教徒は神や教会のために公私に渡って尽くすこととなり、社会・福祉システムとしての「ローマ帝国と皇帝」に成り代わっていく。

その結果、国家や皇帝は名ばかりの存在となり、神(と教会)が絶対的なパトロヌスとなった。そして他の神(多神教)のクリエンテスとならないことが、このキリスト教という唯一絶対のパトロヌス(神)から保護を得られる条件となる。

当然ローマ帝国ローマ皇帝にはもはや「パトロヌス」としての信頼は無く、多くの人はキリスト教による救済(福祉)を求めて神と教会に全幅の信頼を置くようになっていた。

そう考えていけばこのキリスト教化の流れ自体が「かつてのパトロヌスとクリエンテスの関係」をそっくりそのまま乗っ取る形となったことが分かる。

かつてのパトロヌスやローマ皇帝の気前の良さはある種「寛大さ」の1つの表現でもあったが、それすら失っていく中で保護を求める対象が「キリスト教」に変わったことがローマ全体にとって良かったのか悪かったのか、その判断は私には付けられない。

しかしユリアヌス帝も言うように弱者救済に関しては真摯に取り組んでいたキリスト教の活動そのものは「当時の苦しむ人々が救いを求めた形」としてローマ社会全体に浸透していた。

そこで古きローマの信仰(異教)をキリスト教に対抗できる「新しいパトロヌス」として復活させようとしていたユリアヌス帝が嘆いたように当時のローマ人に弱者救済の志が(寛大さとして残って)あればこそローマ帝国の滅亡は防げたか、もしくはさらに長続きしていたのかもしれないし、最悪のパターンとしてキリスト教との間で宗教内乱のような状況が発生しローマの崩壊を早めていた可能性もあったかもしれない。

としたところで今回は締めておきたい。

 

是非ともローマ帝国衰亡史などのローマ史を解説する本とこちらをセットで読んでいくことをおすすめしたい。