久し振り、というほどではないのですが太閤立志伝5DXをプレイします。
プレイする人物は武田信虎。
ステータスや札は初期状態のままスタート。
さてまずこの流亡の章は1549年開始です。
この時点で追放より8年も経っていることがゲーム開始時の信虎の台詞でも分かる。
娘婿・今川義元に会いに行った帰り道に甲斐より追放された信虎はこの8年間を今川家の世話になりつつ駿河で隠遁生活を満喫していた。
だが急に武田家奪還を目論み始めついに行動へと移す。
とは言え武田家には仕官は出来ない。最終的には自前の勢力を持ちたいので、何となく今川家にも仕官し辛いところがあったので最初は関東の小田家に仕えて何とか小田氏治を盛り立てようと思ったが戦争に勝てないまま周囲が北条家に飲み込まれて断念。
頭から再スタートして今度は斎藤家に仕えることにした。
そして最初の内は本当に何も起きない。ただ粛々と主命をこなす。
信虎や斎藤家の関わらないイベントが淡々と説明される。
その間に兵糧購入などの主命をこなしていく。この時に米転がしも行って自前の資金を多少用意しておいた。

(猫武将モードだが気にしてはならない)
主命と技能師事(主に明智光秀相手にではあるが)で勲功と能力を上げに上げていた。
部将となった頃、既にゲーム開始時点から4年経っての1553年、斎藤道三と織田信長が何とか寺で会うイベントは起きたが信虎はその場面には立ち会わず、ただ説明を受けただけだった。「将来我が息子たちは信長の家来になるだろう」と道三は言ったり言わなかったりしたらしいが、それからすぐに今川家による織田家侵攻戦が始まり、1554年に入ってすぐの頃、今川家の侵攻を受けて織田家は呆気なく滅亡した。
(これで斎藤義龍謀反フラグが折れたものと思われるので)正直信虎プレイを終わらせようかと思った時の画像が上記のそれである。
しかし同盟の織田家を滅ぼされたことで斎藤家と今川家が開戦。即座に小牧山と那古野城を攻め落とす。

さらに南下して鳴海を攻め落としこれで尾張は奪還。亡き婿・信長も草葉の陰できっと喜んでいることだろう。
しかし岡崎城での戦闘中に救援として攻め寄せた今川軍本隊と本格的な戦闘となり勝利は得たものの斎藤軍も甚大な損害を被った。
しかし迅速に兵力を回復させ南下作戦を継続。
1555年、曳馬城を攻略。直後の9月の評定で斎藤義龍が曳馬城の城主に任命される。
そしてこの時全体マップを確認すると長尾家が武田家の領地の奥深くまで食い込んでおり、武田家そのものが存亡の危機とも言える状態を迎えていた。
「我が息子も不甲斐無きことよ」と信虎が言ったかどうかはともかく、本当に甲斐を失うかもしれない瀬戸際だったので不安で仕方がない。
(せめて武田信虎VS武田信玄のイベントだけは見たいので城主就任を急ぐしかない)
1556年に入り高天神城へ進軍。ここの攻略途中に今川軍が入れ替わるように高天神城を通り抜けて義龍の守る曳馬城を攻撃。
斎藤家本軍は高天神を落としたものの義龍軍は曳馬城を守れずに奮戦虚しく陥落。
3月の評定で出戻ってきた義龍は改めて小牧山城の城主に就任。斎藤家本軍は曳馬城に攻め込み奪還。
5月、再び直轄領となった曳馬城の城主就任の打診を受けた武田信虎はこれを受けて遠江へ出立した。

しかし未だ今川軍は健在であり、注視していた武田家の動向も実際は上杉家(長尾家から改名)から城を奪還し勢力を盛り返しつつあった。
一敗地に塗れた義龍も今は小牧山で己の不甲斐無さに咽び泣き自省の日々を送り、父道三との関係改善の兆しがある。(実際には織田家滅亡によって謀反が防がれたのだが)
そうして1556年、斎藤家と今川家の戦いは混迷を極めていくのであった。