まだまだ遊べる三國志8R。
過去のブログ時代には名前が似ているというだけで南蛮の「孟優」でプレイしたこともあります。
(猛将集結の趙雲でプレイしたりもしましたが結局本人の能力も優秀でありながら軍師に諸葛亮先生がいるなどの優遇振りでモチベを維持できなかったり……)
そこで今回またもや名前の語感が似ている孔融でプレイを始めることにした。禰衡とも親交があるのも選出の理由の1つになった。
猛将たちの壮絶な一騎討ちで一喜一憂していきたいのでシナリオは「猛将集結」にした。
難易度的にはCPUの同盟締結の頻度の設定だけを少し低くしてそれ以外は全て普通に設定した「カスタム」にしている。
目標は天下統一、と言いたいところですがもっと手短に終わる可能性もあります。
それでは開始です。
まず猛将集結における孔融の初期状態について。
君主は太史慈で、領地は北海のみの1国。周囲は張燕・呂布などと境を接している。もちろんのこと呂布軍は強敵であり出来れば交戦は控えたいところである。
開始は184年1月だが最初の内は出来ることもほとんどないので評定では適当に進言しつつ太史慈配下の諸将との交友(孔融だけに)を深めていく。
自勢力のCPU操作君主はあんまり外交を積極的には行わないので正直あまり序盤はやることがないが、185年1月の評定で北の平原への侵攻を進言し侵攻。戦闘は孔融が特権を消費して指揮を執った。
孔融の部隊は張燕率いる敵部隊の一撃で大ダメージを受けたが、駆け付けた太史慈が一騎討ちで張燕を破り制圧。やはり君主同士の一騎討ちは生きた心地がしない。
平原で太守就任の演義伝が発生したのでこれを受けて孔融は北海の太守となる。
しかし北海は相変わらず呂布軍と隣接しており、呂布軍もまた頻りに北海に対して計略を掛けてくるという一触即発の状態である。こちらもこちらであまり生きた心地はしない。

そして太守として北海を受け持つ傍らで、好敵手となっていた朱霊が何故か度々一騎討ちを申し出てくる。

武力73の朱霊が武力19の孔融と戦うのはもはやイジメである。
だが受けないと受けないで何かデメリットがありそうなので朱霊のボーナスタイム的な感じだと思うことにして諦めて一騎討ちを受けていたが、この暫く後相生の関係になったので好敵手関係は解消された。
ここまでの間に禰衡が2度孔融のもとを訪問し「(孔融が平原で一般武将の折に)平原よりもマシな都市はないか」とか「取るに足らない武将を教えろ」とか訊ねてきたことがあった。
前者への返答で関羽のいた洛陽を選択すると関羽との親密度が上昇したし、後者の問では孔融が元在野だった武安国を太史慈軍に推挙した後に呂布軍に寝返っていたことから武安国を選ぶと彼の悪口を言いふらしに向かっていくなど禰衡らしさ満載のイベントになっていた。
186年7月の評定にて臧覇率いる済南の攻略を決定。
太史慈込みでも呂布軍には敵わないと判断しエン州方面へと逃げる準備をすることにした。

ここで格下狩りで有名な朱霊が兵1000程度まで通常攻撃で削っていた敵部隊と一騎討ちを挑み、しかも敵武力は70だったにも関わらず敗北。撃破は免れたものの部隊に多大な損害を被る。
直後に平原の太史慈軍が救援に駆け付けて事なきを得る。しかし都市周辺の戦闘で神算火計の策略を受けて兵力が激減するも何とか臧覇軍を撃破。
太史慈軍は済南を得て3都市を押さえる勢力となった。しかし強敵・呂布は未だ下ヒで不敵な構えを見せており油断は禁物といった局面である。
済南太守となってからは約1年間の準備期間を取る。その間にも他勢力も積極果敢に戦争を行い、領土を取って取られての激戦が繰り広げられていた。

3度目(ぐらい)の禰衡来訪。
あなたの友人が太守をしている都市なのに「ここよりもマシな都市を教えろ」と言って来たので趙雲の都市を選ぶ。これで趙雲との親密が「好意」に上がる。
ボロクソ言う割には結構素直なところがあるのと、他君主との親密をノーリスクで上げてくれるので割と役に立つ男でもある。
187年10月の評定の時点。

南方では早くも孫策軍が3都市を押さえる。
強敵・呂布軍は周辺国全てが複数都市を押さえる勢力に囲まれてしまっているし、夏侯惇も張遼は君主・配下共に手強い勢力なので北上を狙うのではないかと冷や冷やしている。また夏侯惇軍は太史慈軍の行く手を塞ぐように領土を増やしたので遅かれ早かれ衝突の危険がある。