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【三國志8R 猛将集結・孔融#2】孔融、結婚する

・187年10月~

濮陽の潘璋軍を攻める。

今までの戦いと違って援軍を呼ぶことは出来ず、また太史慈もいない状況で自軍は孔融が最大9000人までしか部隊を編成することしか出来ない。次点で陳登や張角が8000の部隊を編成出来る程度。しかし敵軍の総兵力は29000程度なので問題はないと考えていた。

とは言え櫓や都市からの攻撃を合わせて敵軍の抵抗は凄まじく、特に君主の15000の部隊へのダメージの通りがあまり良くなかったので敗退も覚悟したが、配下の管亥(武力80)に対して敵君主・潘璋(武力85)が一騎討ちを挑み、これに勝利したことで活路を開くことが出来た。

その後太史慈青州を制したとして州牧を自称。

そして再び禰衡が来訪。

またも「取るに足らない人物の名を挙げろ」と言われたのでリスト内に名前があり、太史慈軍から呂布軍へと寝返った武安国の名を再度挙げた。前回はあまり効果を確認していなかったが、これで名前を挙げた人物は忠誠が下がるようだ。

引き抜きなどの際には少し便利かもしれない。

 

188年1月の評定で夏侯惇軍と同盟が成立する。

これによって対呂布夏侯惇軍を援軍として呼ぶことが出来るようになったが、太守転属の演義伝を使ってまで北海に戻るよりは眼前の与しやすい敵と戦うほうが得策だと考えている。

4月の評定では顔良軍との同盟も成立。これで張コウ軍に対して2都市から援軍を呼べる状態となった。さらに張コウ夏侯惇と同盟を結んでいたこともあり、敵側の援軍として出て来ることもなくなったので早速張コウが治めるギョウへ侵攻。

約15万対約5万弱という一方的な戦いの後にギョウを占領した。

188年9月、ギョウの張コウ軍に居たと思われる貂蝉が配下となっていたので親密を上げて結婚。

出会って3か月という超スピード婚であった。

 

189年4月、夏侯惇軍との同盟が切れている状態だったこともあり最初の夏侯惇軍の本拠地・陳留に侵攻。太史慈軍11万に対して夏侯惇軍は7万の兵力を用意していた。

敵方援軍を濮陽から来た味方援軍が足止めする中、敵正規軍を都市周辺で神算火計で一網打尽にするという孔融の作戦が適切に刺さった形となった。自軍正規軍・援軍ともに甚大な被害を出したものの陳留を制圧した。

189年10月、小ハイから夏侯惇軍が陳留へ侵攻。防衛には成功。

10月の評定でこちらからも小ハイへ侵攻し夏侯惇軍に完全にトドメを刺すことにする。陳留防衛戦に勝利したことで夏侯惇軍の残り兵力は1万ちょっとであり、敵は呂布軍と同盟を結んでいたが勝てると判断した。

しかしそう甘くは無かった。呂布軍の増援が到着すると孔融の正規軍の下へと敵が殺到し、さらに呂布の圧倒的火力の前に自軍は壊滅した。

190年1月、再び軍を興し、小ハイに侵攻。今度は下ヒの民を扇動して増援到着まで時間を稼げるようにしてから侵攻。

今回は夏侯惇をマップ端から少し誘き寄せてから総攻撃を試みたが、一発目にいきなり自軍の郭淮に対して一騎討ちを挑む。もちろん武力は向こうの方が強いので負けるだろうと少し残念に思いながら戦う。

だがギリギリの白熱した戦いを制したのは郭淮だった。

呆気なく壊滅した夏侯惇隊のみしか敵部隊は存在しなかったので小ハイを制圧。そしてこれで呂布軍に対して小ハイと北海の2都市から隣接したことになる。

夏侯惇との壮絶な一騎討ちに勝利した郭淮に愛着が湧いてしまったので絆を深めて義兄弟の契りを結ぶ。

 

190年4月、下ヒの呂布・高順の両名に埋伏の計をかけておく。

190年7月、下ヒへと侵攻を行う。

敵は4万強の兵力しか持っていない。とは言え18000の呂布の部隊は脅威である。

しかしながら埋伏の効果で行動不能にしたところを罵声や烈火で戦意を下げて撃破したことで自軍にはほとんど被害が出なかったと言っても過言ではない。

呂布も降伏し太史慈軍の配下として加わった。

南方では趙雲軍や孫策軍などが勢力を伸ばしているのでこのまま南方方面に突き進んでいくのが良いのかもしれない。